義足のため日本でプロの夢を絶たれた男がフィリピンでプロボクサーを目指した感動の実話―――。このフレーズだけを見ると〈泣けるスポーツ映画〉を想像するかもしれません。それも間違ってはいないのですが、映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』には感動物語では収まりきらない、“ひとりの人間の生きた証”が刻まれているように感じます。
6月10日の公開に先駆け来阪した主演の尚玄さんに、義足のボクサー・津山尚生を演じた想いや映画化までの経緯などを語っていただきました。
逆境に負けず、夢を追う姿を映画にしたいと考えた。
―― 映画『義足のボクサー』は実話がベースです。モデルとなった日本初の義足のボクサー・土山直澄純さんとはお知り合いだったとか。
土山さんとは10年以上前に東京で知り合っていたのですが、仲良くなったのは彼が沖縄に移住してから。僕が帰省するたびに会うようになりました。実は、土山くんが義足だと知ったのは4回目くらいに会ったとき。彼自身は普通に生活していたし、まったく気づきませんでした。映画でも描かれていますが、彼は運動神経が抜群で子どものころから健常者とともにサッカーをしています。でも、義足だということで中学の引退試合でいきなり試合に出られなくなった経験があるそうです。
そして、次にやったボクシングでもインターハイでいい結果を残したのに、プロになれないといわれてしまう。彼はたまたま義足だったけど、強いボクサーです。だから諦められずにフィリピンに渡ってプロボクサーを目指した―――。その話を聞いたとき、逆境に負けず夢を追う彼の姿を映画にしたいと考えました。
―― 映画にしたいと願っても、そう簡単には進みませんよね?
ひとりの俳優が〈自分で企画をして映画をつくる〉というのは簡単ではありません。だから、8年もかかってしまいました。最初にプロデューサーである山下貴裕さんに話をして、2人で資金繰りや監督のリサーチなどをやっていきましたが、監督探しではむずかしさあると感じていました。この映画は海外で撮影する必要があるし、英語で演出できる監督でなくてはいけません。外国の監督にお願いしたほうがいいだろうと考え、ぼくが親しくしているエリック・クー監督(『家族のレシピ』などを撮ったシンガポールの監督・プロデューサー)に相談してみました。そうすると、「ブリランテ・メンドーサ監督が一番いいのではないか」といってもらえ、紹介してくれたのです。
―― いきなりフィリピンの名匠を紹介されたのですね。
ぼく自身がメンドーサ監督のファンで作品もよく観ていたので、「まさか」という感じでしたね。紹介されてからはプロデューサー山下さんといっしょに何回もメンドーサ監督にアプローチしていき、彼が監督してくれることが決まると制作までは早かったです。
―― メンドーサ監督はフィリピンの闇社会を描くなどダークな作品も多い。そんな監督がボクシングというスポーツをテーマにした作品を監督したことに驚きました。
世界中の映画人が「メンドーサ監督がボクシング映画を撮った!?」とびっくりしたと思います。監督自身、「この映画は自分にとって、チャレンジングな企画だ」といっていましたし、「彼(義足のボクサーである土山さん)の話はおもしろいけど、映画をどうまとめて、どう終わらせばいいか」ということもずっと考えていたそうです。
でも、映画を見終わると〈メンドーサ監督が撮ったボクシング映画〉でだと実感できるのではないでしょうか。監督は俳優に台本を渡さないので、ぼくもこの映画がどこからはじまって、どうやって終わるのか、わからなかった。でも、完成した映画を観て「やっぱりメンドーサ監督はこうやって終わらせるのだな、これですごくよかったな」と感じました。
明日の撮影シーンがわからないから、常に尚生というキャラクターで過ごしていた。
―― 今作には健常者と障がい者、日本人とフィリピン人といった立場の違う人が登場します。でも、そこを強調するのではなく、とてもフラットに描いている印象があります。
フラットという意味では、まずフィリピンの人たちがすごく愛情深くてオープンであるという特性をもっているのが大きいように感じます。ぼくはトレーニングのために撮影のかなり前からフィリピンのジェネラル・サントス(ジェンサン)に入ったのですが、現地のボクサーたちはすぐ受け入れて家族のように接してくれました。
今回の役は簡単にできる役ではないので、フィリピンに行って、現地の人と過ごして、ぼく自身がそこの空気になじむ。そういう時間を費やせたからこそ、だせたものがあると思っています。
―― 説得力をもって義足のボクサーを演じるのは大変だったのでは?
ボクシングに関しては撮影の1年前くらいからトレーニングをはじめました。ただ、役を演じるためにはフィジカルだけでなく、メンタルの部分も大切です。ボクサーたちがどのように考えてボクシングをはじめ、どんな想いをもってリングに立っているのか、それを自分でリサーチしながら組み立てていきました。メンドーサ監督とも、尚生というキャラクターに関してはかなり話し合いましたね。
―― メンドーサ監督は独特の演出をする監督です。
彼は事前に台本を渡さない演出方法をとっていて、明日どんなシーンを撮影するかもわからない。だから、ぼくは常に尚生として過ごさなければいけませんでした。しんどさはありましたが、例えば前夜から演技プランと錬るというような俳優がする余計な試行錯誤をしなくていい部分もあります。そういった意味では、すんなり演じられたと感じています。ただ、ずっと尚生として生きていたので、撮影後もしばらく抜けませんでした。東京で日常に戻ってからも、居心地が悪かったです。
義足は、特別なものではない。
―― 義足のボクサーを演じて感じたことや、意識の変化はありましたか?
ぼくは自分自身に〈右足が義足〉だというマインドセットをかけていて、そのせいかぼくが本当に義足だと勘違いしているスタッフもいました。あるとき、ボクシングシーンを撮影した後にリングから降りようとしたとき、手で支えてくれようとしたスタッフがいて。その行為に、ぼくはちょっとイラッとしたのです。スタッフの優しさから起こったケアなのですが、自分が役に入っていたこともあり、必要ないケアだと感じてしまいました。
そのときに、障害を抱えている人でもすべてをサポートしてほしいわけではないのでは? と思ったのです。もちろん必要なサポートはたくさんあるのですが、全部をサポートしなくてはいけないかというと、そうではない〈かもしれない〉ということに気づいた。尚生を演じる前と後では、自分のなかの意識は変わっているように感じています。
―― 今作でも義足である尚生を、特別な存在として描いていません。
ぼくがこの映画で好きなところのひとつが、義足の描き方。義足であることを誇張して、涙を誘う作品にもできたと思います。でも、メンドーサ監督はそうしなかったし、ぼくも義足を特別なものとする意図は最初からなかった。
今作は2021年の東京国際映画祭で上映されているのですが、そこで観た人からのコメントで「義足が活かされていない」というものがありました。ぼくはそれを見たとき、そう受け止めてもらえる映画になっていてよかったと思ったのです。
―― メッセージ性のある映画でもあると思うのですが、尚玄さん自身はどのように観てもらいたいですか?
ぼく自身は、映画を観てくれた人が何かを感じとってくれても、何も感じなくても、どちらでもいいと思っています。この映画はボクシングをテーマにしていますけど、ヒューマンドラマでもあって、師弟愛や母親に対する想いなども描いています。ボクサーであるひとりの人間のドラマとして、素直に観てもらえたらうれしいですね。
映画『義足のボクサー GENSAN PUNCH』
2021年6月10日(金)より、大阪ステーションシティシネマにて公開。