ガンバ大阪 強化アカデミー部 スカウト
中澤 聡太 氏
サッカーに限らずプレーを見てきた選手の現役引退は、ひとつの時代の終わりを感じてさみしさがこみ上げる。しかし、彼らのサッカー人生は終わったわけではない。そこから新しいキャリアがはじまり、選手時代とは一味違う輝きを放つ。
センターバックとして気持ちの入った熱いプレーで最終ラインからチームを鼓舞し、数々のタイトルを獲得してきた中澤聡太さん。現役引退後に古巣であるガンバ大阪へと戻り、スカウトとして全国を飛び回っている。「今が楽しくて仕方がない」と笑う中澤さんに、スカウトの醍醐味を聞いてみた。
ガンバ大阪に恩返しをしたい。
昨シーズンからガンバ大阪のスカウトとして活躍されています。経緯は?
「ギリギリまで選手としてプレーしていたかったので、引退はとても悩みました。セレッソ大阪に所属していた現役最後の一年はケガのリハビリで終わってしまったし、最後に思いっきりサッカーをやって辞めたかった。残念ながら、叶いませんでしたが。そんなときに声をかけてくれたのがガンバ大阪で、選手生活の継続を模索している間もありがたいことに待ってくれていました。サッカー人生で一番長く在籍していた愛着のあるクラブですし、引退を決めときに、心から〈ガンバ大阪に恩返しをしたい!〉と思いました」
数年ぶりに戻られましたが、中澤さんが感じるガンバ大阪の魅力とは?
「いろいろあり過ぎて…、コレだと例を挙げるのはむずかしいですね。サッカーの魅力は実際にプレーを観て感じてもらうものですから、ぼくが説明するよりスタジアムに足を運んでガンバの魅力にふれてほしい」
確かに。では選手としてガンバ大阪に来たときの印象は覚えていますか?
「覚えています。みんながやたら上手くて、びっくりしました。〈ヤバイところに来ちゃった〉と思いましたもん(笑)」
(笑)。でも、テクニシャンが多い中で、スタメンを勝ち取りました。
「ぼくはヘタでしたが、ヘタクソでも必死にくらいついていきました。みんなと同じようにできなくても、自分に何ができるのかを考えて、そのプレーを一生懸命にやり続けていたら評価してもらえたんです」
中澤さんがガンバ大阪でプレーしていた当時の監督はW杯で話題になった西野朗さん。思い出はありますか?
「暴露本を書けるくらいあります(笑)。まじめな話、西野さんはぼくにとって命の恩人。拾ってもらって、一人前にしてもらった監督です。ガンバでいっしょにタイトルを獲得できたことは今でも誇りに思っているし、その西野さんが日本代表監督として今回のW杯で活躍している姿を見てエネルギーをもらえました。ぼくも、がんはらないと!」
スカウトでもサッカーの試合と同じ、「入りが大事」です!
現在はアカデミー強化部のスカウト。どんな活動をされていますか?
「全国の高校生や大学生を視察して、ガンバに合う選手を探しています。今年で2年目に入りましたが、まだまだ新米。挫折ばかりですよ」
ガンバ大阪のブランド力があれば、選手の獲得は簡単なのでは?
「とんでもない! 競争は激しいです。去年も狙っていた選手を獲得できなくて本当に悔しかったし、落ち込みました。でも、ものすごく落ち込めたことで、選手時代と同じくらいスカウトという仕事に打ち込めている自分に気づけました。やりがいがありますね!」
選手時代同様に気持ちの入った熱いスカウティングをしているのですね。高校生と大学生の担当はおひとりで?
「去年までは朝比奈(伸/現・アカデミー運営)と回っていましたが、今年からはひとり。いろいろな現場に顔を出して、あいさつして回る日々です。新しい出会いがたくさんありますし、選手としてピッチに立っているだけではわからなかった世界を体験できています」
スカウトは監督やご両親といった立場の違う方々とも接しますよね。対応がむずかしいのでは?
「どうすればガンバの魅力を伝えられるのか? すごく考えます。やはり、あいさつが大切なんですよ。いきなり長い時間お話することはできないし、人の印象は最初に決まったりもする。10秒・15秒のあいさつでも、良い印象が残せるよう心がけています。人とのコミュニケーションもサッカーの試合と同じ、《入りが大事》です」
営業マンみたいですね。
「ガンバのスカウトという肩書で現場に行くということは、クラブの看板を背負っているということ。選手を見つけるだけじゃなく、ガンバ大阪というクラブのイメージアップを図ることも大切だと思っています。責任を持って、しっかり取り組みたい」
良い選手を見つけると、恋をする。
関西学院大学のDF髙尾瑠選手が来季入団内定しています。競争率が高かったのでは?
「複数のJクラブからオファーがあったと聞いています。そんな状況で〈ガンバに行きたい〉といってくれたときは、本当にうれしかった。スカウトとして、忘れられない瞬間です。彼の強みはスピードと運動量。攻撃に関わる能力はこの年代ではトップクラス、プロでもすぐに通用すると考えています。守備力は課題になりますが、まずは良いところをチームに持って来られたらいい」
まずはストロングポイントを評価する。
「悪いところばかりをチェックしていたら、選手の可能性を小さくしてしまう気がするんです。スカウトの役目は選手の可能性を見出して、膨らませてあげること。例えば、去年入団した若い選手たちもストロングポイントはたくさんあるし、もっとやれる能力を持っている。自分たちの強みを伸ばして、厳しいプロの世界を生き抜いてもらいたいですね」
お聞きしていると、親御さんのような視点を感じます。
「息子のような…、いや息子は早いか(笑)。弟のような目で見てしまっているかもしれません。へんなことしたら、ぶっ飛ばしてやりますよ。冗談ですけど(笑)」
(笑)。実際、プロの世界には甘い誘惑もありますよね?
「今まで知らなかったところに足を踏み入れるわけだし、プロの世界には調子のいいことをいっておいしい話を持ってくる人もいる。ぼくも現役時代に、そんな人と出会いました。それなのに、プロになると注意してくれる人が少なくなるんですよ。若い選手がへんな方向に進みそうになっていたら、気づかせてあげたい」
入団後のフォローもスカウトの役目?
「ご両親と会ってお子さんを引き受けているわけですから、自然と気にかかります。こんな表現をしてはいけないのかもしれませんが、良い選手を見つけると、ぼくは〈その選手に恋をします〉。どうしても、かわいいと思ってしまうし、成長も助けたい。ただ、フェアには見ています。どこから来た選手でも、チームにとっては同じですから。それに、このアプローチが正解なのかも正直わからないんです。経験も浅いし、スカウトとしてのスタンスは勉強中です」
選手にとってはサッカー人生を左右する決断。熱く想ってもらえればうれしいと思います。
「ぼくには元選手という利点もある。プレーヤー目線に立って、ガンバの良いところも悪いところもちゃんと伝えています。とはいえ、どんなに優秀な選手でも今のガンバにうまくハマれないと、プレーする場所はありません。チームには選手の配置バランスがありますから、そこもちゃんと見てあげないとサッカー人生を不幸にしてしまう。だかこそ、コレだという選手に出会うと強化部に必死にプレゼンしています。〈この選手きますよ! やりますよ!〉って」
見るのはストロングポイント。「自分の武器」を持ってほしい。
中澤さんは、選手のどんなところをチェックするのですか?
「その時々で探す選手が変わるので基準はないのですが、なんでもできる選手よりは、〈コレだ!〉という武器を持っている選手に目が行きます」
やはりストロングポイントが重要?
「それだけでもダメで、ストロングポイントを考えて使いこなせていることも大切。〈どうやって使えばもっと強い武器になるのか〉を考えながらプレーできている選手は、やはり伸びていきます」
なるほど。学生の大会だとステップアップリーグや総理大臣杯があります。注目されていますか?
「もちろんです! ステップアップリーグは学生選抜がJクラブと戦える貴重な機会、選手たちはもっと自分のプレーをアピールしていいと思う。ぼくも現役時代にプロとして出場しましたが、選抜チームということもあってか学生たちのプレーは少しおとなしく感じました。この大会で活躍すれば、注目度は一気にアップします。ピッチに落ちている大きなチャンスを、ガムシャラに掴みに行ってほしい」
その姿をスカウトは見ていると。
「見ている人は、いくらでもいます。スカウトも、監督・コーチも、記者の方々も。大会だけでなく、普段の練習でもそう。一生懸命にプレーしていれば、必ず誰かが見ています。少なくとも、ぼくは見ていますから!」
その言葉は選手のモチベーションになりますね!
「もっというなら、サッカーをやっていてJリーガーになれる選手はほんの一握りです。でも、自分の強みを知って、考えて、必死に取り組んだ経験は絶対に人生の中で活きるし、誇りになる。後から気づくことになるかもしれないけど、〈あのときがあったから〉と強くなれます。今、サッカー選手を目指している子どもたちは、将来に不安を感じることもあるかもしれない。だけど、自信を持ってサッカーに打ち込んでほしいですね」
サッカー選手を目指す子どもたちへのステキなメッセージですね。では最後に、ガンバ大阪を応援しているファン・サポーターにも一言お願いできますか。
「今は悔しい想いをしていると思います。でも、ガンバが好きで、愛してもらっているからこそ悔しいと思ってもらえている。そんなファン・サポーターの想いに報いるために、選手・スタッフは懸命に戦っていきます。悔しい想いが、喜びに変わるように。これからも変わらぬ応援をよろしくお願いします!」
中澤 聡太 Sota NAKAZAWA
1982年生まれ。2001年に市立船橋高校から柏レイソルに入団。同年ワールドユース(現U-20W杯)にも出場した。07年にガンバ大阪へ移籍しセンターバックとして活躍。タイトル獲得に貢献した。川崎フロンターレを経て15年セレッソ大阪に移籍。16年に現役を引退した。
Text by Masami URAYAMA