映画『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』 偽の語学が、名もなき人の名を残す。

ナチス占領下の強制収容所。唯一の希望は〈架空のペルシャ語〉だった。―――ひとりのユダヤ人青年がホロコーストで生き残るために偽の語学レッスンをするという奇抜な展開で、戦争に巻き込まれた人間の生き様を描いた映画『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』。1125日(金)からは、シネ・リーブル梅田でいよいよ公開されます。

本作は『戦場のピアニスト』『シンドラーのリスト』につづく、ホロコーストを題材にした人間ドラマの新しい傑作。ウクライナ出身のパールマン監督が表現する〈戦争と人間〉の姿に、感情が大きく揺さぶられます。映画からは多くのことが学べる。そう感じさせてくれる名作です。ぜひ!

 

生き残るため、ユダヤ人青年は〈偽の語学レッスン〉をはじめる。

1942年、ナチス占領下のフランス。ユダヤ人青年・ジルがこの映画の主人公で、彼がナチスの親衛隊に捕まったところから物語ははじまります。集団移送中のトラックでたまたま隣にいた男から食料とペルシャ語の本を交換してほしいと提案された彼は、しつこさに根負けして仕方なく応じるのですが、それが今後の運命を大きく変えることに。ユダヤ人が次々と射殺されるなか、この本をもっていたおかげで「自分はペルシャ人だ」と主張でき、一命を取り留められたのです。

 

もうひとりの主役といっていい人物にクラウス・コッホ大尉がいます。強制収容所に従事するナチス側の人間で、部下にも激しい口調で叱り飛ばす厳格な大尉。しかしその実、料理人であるコッホ大尉は終戦後にイランの首都であるテヘランで料理店を開く夢をもっており、ペルシャ語を習得しておきたいと願っています。ここからもわかるように、彼はナチスの親衛隊でありながら他の将校や兵士のように熱狂的な支持をもって戦っているのではなく、どこか傍観者的な視点で戦況を見ている印象を受けます。

 

ペルシャ人として強制収容所に連れて来られたジルは、コッホ大尉からペルシャ語を教えるように命じられます。もちろんジルはユダヤ人なので、ペルシャ語など知るよしもありません。ところが、コッホ大尉や周囲の兵士たちもペルシャ語を知らず、正誤を判断できないためジルのでっちあげたデタラメなペルシャ語を信用してしまいます。こうして、ナチス親衛隊大尉とユダヤ人・囚人の〈偽ペルシャ語レッスン〉がスタートするのです。

 

命拾いしたジルですが、教えるためのペルシャ語を知らないため自分でオリジナルの言語を創りつづけていくしか道はありません。日常会話に必要な単語数は2,000〜3,000ともいわれていて、コッホ大尉もそれくらいの単語を学ぶつもりにしています。

〈ペルシャ人ではないことがバレたら即射殺〉というギリギリの状況下で、2,000以上の単語を創作しつづけ、それを〈記憶〉しておく。とても困難なミッションを背負ってしまったジルは、朝も昼も夜も創作した言葉を反芻して忘れないように努力します。けれど、単語が増えていくと、その方法はすぐに限界がきます。「無理だ…」となったとき、彼は任されたある仕事からこの事態を乗り切れる方法をひらめくのです───。

映画『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』の一場面

 

戦争という巨大な悪のもとで大勢の名もなき人が殺され、そして手を下すのも人間だということ。

第二次世界大戦で数百万のユダヤ人大虐殺(ホロコースト)が行われた、ナチス・ドイツの強制収容所が舞台となっている本作。ストーリー展開のなかでは、〈ジルの偽りの語学レッスンがいつバレるのか?〉という映画的なハラハラ・ドキドキが楽しめるのですが、その一方でジルのように恵まれていないその他大勢のユダヤ人たちの無残な実情も描かれています。

物語序盤の、多くのユダヤ人たちをいとも簡単に射殺するナチスの親衛隊の姿を映し出すシーン。それは人間対人間の命のやり取りではなく、子どもが水鉄砲で遊んでいるような行為で、あまりの軽さにわたしはリアリティを失いました。

 

リアリティがないという意味では、主人公のジルもそうです。映画のなかで、彼は何歳で家族はいるのか、これまでどんな人生を歩んできたのかなど、キャラクターを深く掘り下げるセリフはありません。ジルとは呼ばれていますが名字はわからず、最初から最後まで小さくてやせっぽちなひとりのユダヤ人青年としてだけ描かれています。

ジルも、他の殺されていくユダヤ人たちも、名前があり、家族があり、人生があるはずです。しかし、ナチスの前では〈ただのユダヤ人〉でしかなく、名もなき存在として淡々と殺されていくのです。

 

映画『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』の一場面

対するナチス側の主要人物には姓名があります。ペルシャ語のレッスンを受けるクラウス・コッホ大尉、ジルを目の敵にするマックス・バイヤー兵長、ジルに仕事を奪われるエルザ・シュトルンプフ看守…、ストーリーのなかで彼らはどのようなキャラクターかも表現されています。とくに語学レッスンを通じてジルと打ち解け、ナチス側の人間にはいえなかった気持ちを吐露していくコッホ大尉の変化には人間らしい味わいがあって、話が進むにつれて観ている側もつい感情移入してしまいます。ですが、感情移入してしまったところで改めて気づかされるのです。

戦争という巨大な悪のもとで、数百万にものぼる名前のある人が名もなき人として殺され、その殺人を行っているのも、これまた人間だと。

 

監督のヴァディム・パールマンはウクライナ出身。ロシアのウクライナ侵攻は、本作の製作中にはまだはじまっていなかったでしょう。しかし、今、この映画が日本に届けられたのは大きな意味があるはず。

ラストシーンでジルが口にする〈記憶〉たちの重さ…。わたしは震えが止まりませんでした。

映画『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』の一場面

 

映画『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』

2022年11月18日(金)より、アップリンク京都

11月25日(金)より、シネ・リーブル梅田、

12月2日(金)より、シネ・リーブル神戸などで公開。

公式サイト:https://movie.kinocinema.jp/works/persianlessons/

 

masami urayama

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