映画『わたしはダフネ』タフで軽やかで、とても人間らしい。

「あなたとなら信じられる。世界はやさしさに満ちている、と。」

第69回ベルリン国際映画祭パノラマ部門 国際批評家連盟賞を受賞した映画『わたしはダフネ』が7月16日からアップリンク京都、7月23日からシネ・リーブル梅田と順次、関西で公開されています。

突然、最愛の人を失った父と娘。日々の暮らしを愛するダウン症の娘と年老いた悲観論者の父は、いかに悲しみを乗り越えていくのか―――。イタリアのちいさな家族の物語は、“異なる人”の概念を痛快に打ち破ってくれます。

 

おしゃべりで、怒りっぽい。どこにでもいる女の子。

ダウン症の女性ダフネと年老いた父親ルイジの物語。しかし、ダウン症を描いた映画として観ると肩透かしを食らうかもしれません。髪を赤く染めてピンクの服をまとったダフネは、世界各地どこにでもいる普通の女の子(女性というより、女の子という表現がわたしにはしっくりくる感じ)。

パーティーで踊るのが好きで、よくしゃべり、よく笑う。癇癪もちですぐ怒るけど、根にはもたなくて次の瞬間にはカラッできる軽やかさもある。「ああ、○○さん家のダフネね」といいたくなるような近所の女の子的な身近ささえ感じます。

 

スーパーマーケットで働いているダフネは仲間からも愛され、やさしくされています。しかしそれは、ダフネがダウン症だからではなく、彼女が明るくキュートだから。だから彼女も仕事やともに働く仲間たちを全力で愛し、「死ぬほど好き」とまでいいます。

 

本作にあるのは、平凡ながらも懸命に楽しく暮らしている人々の姿。障がい者の映画にありがちな偏見や差別(または区別)、哀れみが潔いほどに描かれていません。そのことに違和感をもたないのは、主演を努めたカロリーナ・ラスパンティがポジティブなオーラを全身で発しているから。自身がダウン症であるカロリーナは今作が女優デビュー。自伝を出版するなど創作活動をしていた彼女をS NSで見出した監督のフェデリコ・ボンディは「映画自体をカロリーナに合わせた」語っていますが、ダフネ=カロリーナは映画のなかでとてもイキイキとしています。生きること・暮らすことを楽しんでいる姿は痛快で、そこに障がい者への視点が入る余地がないのです。

もちろん、それまでにダフネが乗り越えてきた壁はいくつもあったことは想像できます。しかし、それを描かないことで、“人間として困難を乗り越える”ストーリーが純粋に響いてくるとわたしは感じました。

(c) 2019, Vivo film – tutti i diritti riservati

 

人生はしんどいもの。でも、それが人間というもの。

困難を乗り越えるストーリーだと書きましたが、本作は母親の死を乗り越えることを軸に展開していきます。ある日、家族の中心であった母親が急死。突然、愛する人を失った父と娘は、喪失の受け止め方に個性がでます。ダフネは自分の感情のままに号泣して浄化するのですが、年老いた父は悲観的でふさぎ込みがちになってしまうのです。

父に対してつい攻撃的になってしまったりもするダフネは、その姿を見て、母の生まれた村まで歩いて行くことを提案。ふたりで山道をひたすら歩き、会話し、時間をともにして父と娘の距離を縮めていきます。

 

簡単にいえば、喪失から再生の物語。その過程は悲壮感だけにとらわれるのではなく、イタリア人らしいちょっとしたシニカルさとユーモアもあふれています。それはある意味、人生そのもの。人は悲しみのなかだけでは生きていけないのです。

 

ダフネはいいます。「人生はしんどいもの。つまり人間らしいということ」。

 

しんどさの先にある救い。

ラストシーンの父と娘の表情に人間らしさの慈しみを感じて、わたしはとても胸が熱くなりました。

(c) 2019, Vivo film – tutti i diritti riservatiz

 

映画『わたしはダフネ』

2021年7月16日(金)より、アップリンク京都

2021年7月23日(金)より、シネ・リーブル梅田、

2021年7月30日(金)より、シネ・リーブル神戸にて公開。

公式サイト:http://www.zaziefilms.com/dafne/

 

masami urayama

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