映画『天国にちがいない』 世界はどこでも美しく、人は愛らしい。

パレスチナと聞くとシビアな現実をイメージし、映画でも社会派のストーリーを想像しがちです(個人的には)。しかし、イエスの故郷ナザレに生まれたイスラエル系パレスチナ人であるエリア・スレイマンから届く映像は、美しく、のどか。世界のなかにあるひとつの場所の、特別ではない日常が描かれています。

第72回カンヌ国際映画祭で特別賞と国際映画批評家連盟賞をダブル受賞し、第92回アカデミー賞国際長編映画賞(パレスチナ代表)も獲得した映画『天国にちがいない』は、パレスチナへの固定概念を心地よく打ち破ってくれます。

 

主人公は映画監督。そして、無言で故郷を旅立つ異邦人。 

© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

 

海外旅行などで外国の街を歩くと、その地に自分がなじんでないことに気づかされます。どんなに楽しく過ごしていても存在はあくまで異邦人、しっくり街にとけこむ存在ではない。でも、それが妙に心地いいのも確かで、慣れ親しんだ場所からつい旅立ってしまのです。

 

本作の主人公である映画監督エリア・スレイマン(本人)は、ナザレの自宅ベランダから庭のレモンの木から実った果実をもぎとる男を目にします。果物泥棒である男は悪びれず「隣人よ、泥棒とは思うな。ドアはノックした。誰もでてこなかったのだ」とのたまい、スレイマンもとがめたり、落胆したりしません。そこにある事実だからといわんばかりにただ眺めるだけです。

 

また、ある日、スレイマンが車を運転していると、パトカーが接近してきます。車中に目をやると2人の警官が乗っており、その後ろには目隠しをされた女性が乗っています。あからさまに怪しい状況ですが、それを見たスレイマンは顔色ひとつ変えずに淡々と運転します。

 

そんなナザレという街の姿を、受け入れているのか? 諦めているのか? 観客であるわたしにはわかりませんが、故郷であるその街でもスレイマンは異邦人のように佇んでいます。そして彼は、無言のまま故郷から旅立っていくのです。

 

パリ、ニューヨーク、そしてナザレへ。

物語の舞台はパリへ、ニューヨークへと移っていきます。もちろん、そこでもスレイマンは異邦人。しかし、彼は自分の所在のなさを楽しんでいるように、ひょうひょうと過ごしています。

ホームレスや戦車、銃といった不穏なものと出会おうと、映画を売り込んで足蹴にされようともすんなり受け入れ、ただそれを不思議そうに眺めているだけ。この映画で彼が唯一、拒絶したのが仕事の邪魔をする小鳥で、かわいい邪魔者を断固として拒否する姿がユーモラスです。

© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

 

そして、スレイマンは再び、故郷ナザレへ。パリもニューヨークも華やかで美しい街でしたが、ナザレの自然も負けていません。さらに、理不尽だけと愛らしい人々もまだちゃんとそこにいます。「It Must Be Heaven」な場所は、世界のどこにでもある。自分がそう思ったら、そこがどんな場所でも天国になり得るのです。

でも、どこにいても異邦人なスレイマンにとっては、落ち着いて過ごせる天国は必要ないのかもしれない…ふと、そう思ったりもして。

 

最後に、この映画で監督・脚本・主演を務めるエリア・スレイマンは現代のチャップリンとも称されています。そのため、主役でありながらセリフは2つしかありません。彼が口にする2つのワードに深い意味はあるのか? そこにスレイマンの愛が宿っているように、わたしは(勝手に)感じてしまうのです。

 

映画『天国にちがいない』 

2021年1月29日(金)より、シネ・リーブル梅田

2021年2月5日(金)より、京都シネマ/シネ・リーブル神戸 にて公開

公式サイト:https://tengoku-chigainai.com/

masami urayama

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