映画『PLAY 25年分のラストシーン』 どこの国でも、ワカモノはバカモノで、愛おしい。

昔、「ワカモノもバカモノも好きよ」という名言をいった女優がいましたが、大体の場合、ワカモノはバカモノでくだらない日々を過ごしています。でも、そのくだらない毎日に一生懸命になり、笑い、怒り、悩む姿は、(あとから見ると)とてつもなく愛おしいのです。

 

この映画のはじまりは1993年のパリ。主人公のマックスは13歳のときに両親からビデオカメラをプレゼントされ、家族や友人たちとのたわいのない日々を撮影していくことをライフワークにします。その映像は今のようにSNSにアップすることを目的にしておらず、“映え”とはなんぞや?とばかりに日常のシーンをただ切り取っていくだけ。友だちと背伸びして挑んだ夜遊びやはじめてのバルセロナ旅行での情けないエピソード、98年ワールドカップでフランスが優勝したときのお祭り騒ぎ(このシーンは個人的にテンションが上った)、そしてつい追ってしまう好きな女の子の姿…。

 

25年間も撮りつづけた大量のテープを再生するというカタチで流れていくストーリーの軸には“ボーイ・ミーツ・ガール”があって(男子がちょっとダサくて、女子がかわいいという定番もおさえている)、とても普遍的なのだけど、だからこそ「そういうものだったよね〜」という時代感を共有できます。

 

それは、平たくいうと“青春”の日々。そして、スマホもSNSもなかった90年代、あのころの青春にはいつも音楽が寄り添っていて、思い出のシーンには必ずそのときに聴いていた曲がBGMとして流れていました。

 

そう、この映画の大きな魅力は「音楽」。ジャミロクワイやオアシス、スリップノット、ウィーザー、ピクシーズ…。わたし自身が青春時代に出会い、そして今も大好きな90年代〜00年にかけての楽曲たちがエピソードごとに流れていて、いちいちツボにささります。たとえば、友だちとウィーザーの曲を聴きながら盛り上がるシーンを観ると、一瞬で主人公と自分がシンクロできてしまう音楽マジック。“青春と音楽”というド定番だけど偉大な組み合わせが映画と自分の距離を近づけ、日本だろうと、フランスだろうと、若者たちの暮らしはたわいがなく、バカバカしくって愛おしいものなのだと気づかせてくれるのです。

 

この映画のマックスやその友だちたちは、いつかのわたしで、いつかの友だちの姿だったのかもしれない。そう思うと、25年分のラストシーンを見届けたあとは、ホッとするあたたかさと幸せな気分がゆっくり広がります。

90年代にワカモノでバカモノだった、わたしと、あなたに。寄り添ってくれる映画です。

© 2018 CHAPTER 2 – MOONSHAKER II – MARS FILMS – FRANCE 2 CINÉMA – CHEZ WAM – LES PRODUCTIONS DU CHAMP POIRIER / PHOTOS THIBALUT GRABHERR

 

映画『PLAY 25年分のラストシーン』 

2020年11月13日(金)より

シネ・リーブル梅田、アップリンク京都、シネ・リーブル神戸にて公開。

公式サイト:hhttp://synca.jp/play/

masami urayama

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